共和国の黄昏。

白い人にも紅い人にも錯誤がある様に思える。
日本国憲法第九条の要諦は、
「軍隊も持ってないのに、戦争を起こさせない覚悟を国民に要請」
してる所だと思う。
書いてある事は端的に言えば
「我々は戦争をしない。」
「その証に軍隊を持たない。」
そして
「諸国民の公正と信義に信頼する。」と。

これを「軍隊がなけりゃ誰も攻めて来ないなんて馬鹿な事がありますかッ?」
と怒ってたご婦人が居ったが、読解力不足である。
諸国民に信頼す、とは無防備な我が国を侵略するのは貴国の名誉を損なうぞ、と云う
脅しなのだ。

この数千年、人間が歴史から学んだ教訓は
「戦争は必ず起きる。」である。
だからその為の備えを怠ってはならない。
アメリカも中国もその考えに乗っ取って軍備を拡張している。
自ら銃を取って戦う覚悟を示しているのである。
だから日本が憎いと思えばそばの日本人を殴るし、
アメリカが憎ければ大使館に火を放って大使を殺してしまう。

対して九条が求めるのは銃を取らない覚悟である。
軍隊が無ければ戦争は起きない、ではない。
戦争をせんよ、と云うのだ。
これがどれほど過酷で忍耐の要る事か、考えてみて欲しい。

こんな世迷い言をわざわざ憲法に記しているのはパラオと日本ぐらいのもの
らしいけれども、国策としてこういう手段に出るのはそう少ない話でもない。

例えば琉球は軍隊こそ捨てはせんけれど、国力に勝る中国や列強に対して、
のらりくらりと自治権を留保してきた。
ひとり薩摩だけがこれを許さず、武力制圧するのである。
この当時の琉球の戦略は文化の高さと通商の便を強調して、制圧はむしろ
あなたの損ですよ、名誉を損ないますよ、と相手に思わせる事だったらしい。
ところが薩摩はクリンゴンの様な国だ。
武張った事は名誉に成りこそすれ、汚名にはならないのだ。
また世界中がまだそれほど紳士でもなかった。
結果、琉球王朝は絶えたが王の血統と琉球の文化や伝統は残った。
が、自治権を失った事で今まさに塗炭の苦しみを味わっている。

こうなっちゃあ国はオシメェだな、だから再軍備だよ、戦争の出来る国に
しようぜ!と、その苦しみを舐めさせてる当の国が云うのだから笑わせる。
多分再び開戦して沖縄防衛の戦略が必要になっても、この人達は本土の若者が
沖縄で死ぬのは嫌がるんじゃないかな。

どうも銃を取るにしても取らないしても覚悟の程が見て取れない。

国権の発動たる戦争というのは、自分では銃を取らない誰かが
「おいお前、国の為に銃を取って戦えや。反対する奴は国賊な!」
だと思うので、そんな政策に荷担するのはご免だ。
現にこの国では七十年近くそんな戦争が起きなかった。
「そりゃ日米安保のおかげだろうが、自ら培った平和じゃねぇ!」
と恥じ入るのは実に立派な態度だけれど、

他人を働かすのも政治、なのだ。

九条の実行には覚悟が要るのだ。


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