記事タイトル:美意識の違い? 


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お名前: ななかん   
花森安治氏は「暮らしの手帖」の初代編集長である。
その氏が亡くなる前の最後のエッセイで、手を使うことの
大事を訴えておられた。
具体的には各学級に設置される電動鉛筆けずりを撤去せよ、
との内容だったと思う。
大意は技術の基本は指先を使うことから、という意見だった。

押井 守(呼び捨て)などは鼻で嗤うだろうし、某ソーダ氏なども
「下積みと称して雑巾を搾る暇があったら、もっと創造的な
ことに専念すべき。」と大砲を撃っておられたから、今にはじまった
確執でもないのだろうけれど、やはり両人の意見は頭だけ使ってる人の
上滑りな意見のように思う。
そもそも「頭」だけ使えると考えているあたりがおこがましい。

これは私見で検証はないのだけれど、思考のリズムはおそらく鼓動で
とられていると考える。
柳生新影流などで構えにあたる「位」に拍子が重要であるとの教授も
これにあたるのでは、と思っている。

そんな訳で私は花森氏の意見に賛同する。
なにより、鉛筆も削れない、雑巾の搾り方も知らない
(やらないのではなく出来ないのだ。)そんな輩が効率的とか
創造的とかクリエイチブとかぬかすのを見てると喫煙者なみの殺意を
覚えるからだ。

では、肉体的に不具合があって、殊にホルモンのバランスなどが
狂っているウルトラQな人は異常な思考形態を構築するのか、という
問題はさておき、某コーサカ氏の言は正しかった。たまたまなのだ。

中穂積の事件なみに残虐で無思慮な事件がそこここで起こっている。
よかったね、茨木市の名前などすぐ埋もれますよ、某スマイ氏。

[2005年2月7日 9時39分26秒]

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