記事タイトル:思いつき覚え書き その十二 


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お名前: ななかん   
ものの考え方というのは教育で変わるのだろうか。
いや右とか左とかそんなイデオロギーがどうこう
じゃなくて、杓子定規だったり、合理的だったり、
融通が利いたり、無駄が多かったり、の考え方そのもの。
以前は成長期の教育が決めているのだと考えていたのだ
けれど、今は遺伝なんじゃないかと思っている。
例えば一歳児ぐらいでまわりのことなんか何も見えてないと
思われる子供でも、その後の性格を如実に表してたりする。
整頓好きだったり、注意力散漫だったり。
その根源は何かと考えると、親から譲り受けた遺伝子に
そう云った記録があるのではないかと。
こういう発想はすぐに優生学に結びついて、下品な奴は
いかに教育を与えられようと下品、クズはクズしか生まない
みたいな話になっちゃうんですけど、そんな自己中な選民思想は
一旦脇へ置いといて、考えるべきは考えるべきかと。
例えば、南米のとあるコンドルは殻の固い実を割るのに、石を
使う事で知られているのですが、そう云った行動は生まれてから
親の教育によって受け継がれている、というのが定説でした。
ところが件のコンドルを生まれてすぐ親から引き離し、別の場所で
生育させた時、その固体は誰に教わった訳でもないのに、石を
使おうとしたのです。
最初は自分が何をしようとしているのか、自分でも理解していなかった
風情ですが、最終的には硬い実を割ってしまったそうです。
ではその発想はどこから生まれたのか。
それが遺伝子に書かれているのだとして、そのきっかけは
なんなのか。 サルの芋洗いも習得によって伝播すると思われていましたが、
今では同時並行して発生すると確認されています。
でもそのトリガーがわからない。
性格を受け継ぐとしてもその性格を形成した過程はわからない訳です。
単なるゆらぎなのか。
理由があるのか、とか。
[2010年9月1日 13時40分]

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