記事タイトル:英雄不在 


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お名前: ななかん   
神が不在というのはよく云われることですが、
より深刻なのは ヒーローの不在です。
アレキサンダーやナポレオンもヒーローと云えばヒーローですが、
定義としては悪い奴を懲らしめ、うちひしがれたり、打ちのめされたり
する人々を救う存在でしょうか。
この悪い奴を懲らしめ、というの難題で、何が悪かという問題で
我々は立ち止まってしまいます。
月光仮面や鞍馬天狗はそんな事で悩まない。
わたしどもの少し上の世代はそこに欺瞞を感じて、ウルトラセブンや
スパイダーマンに正義の味方であることの傲慢を描きます。
正義である事は単一の価値観を押し付けてるに過ぎない。
そしてそれは事実だったので彼らは退場せざるを得なくなる。
わたしどもの世代ではだから正義の味方は単なる趣味です。
そうしたいからそうしてるだけ。
タイラーやリナ・インバースに確固たる信念はありません。
ややもすると迷惑なだけの存在。
ザンボット3とか。居る事事体が非難の対象になる。
それがリアリティだった。

でも理不尽な暴力に泣くひとは後を絶たない。
少し下の世代はだからヒーローから人の属性を削ろうとする。
彼らは機械の様に自動的で判断などしないけど正義を断行する。
人じゃないから悩まない。
端から見てると災害でしかないけれど問題は解決してる。
ブギーポップとか自分が自動的だと理解さえしてる。
一方的な天災のようなものだ。

昔雷が神の一撃だったのに戻ったとも云えるか。
システムだから有無を云わせない。味気ない。

足らないのは何かと考えるとやはり人の思いなのでは、となり
振り出しに戻る。

悪も善もコインの裏表だと。そのどちらをも抱えるのが人間で、
両方を見て来た大人には一概に断罪出来なくなる。
だからか正義の味方は大抵若いし、理想に燃えている。
理不尽に対する怒りが正義の原動力と云える。
パトレイバーの後藤隊長は「お前それ恥ずかしいよ」と
思いつつ怒りに震える泉や篠原を止めたりしない。
どこかでそんな一方的な怒りでしか成し得ない正義に
期待してるのかもしれない。

善悪が両面なら、ある日悪の秘密結社が「我々はみんながニコニコ笑って
平和に暮らせる世界を構築する!もはや誰一人理不尽な暴力で泣かせない!
その為には手段を選ばない!」と宣言して世界征服を企んだとして、
この場合正義の味方は何を守る為に戦うのか。
唯一突っ込めそうな「手段を選ばない」点で争うしか無いのだろうか。

先に神罰は神の業ゆえに有無を云わせず、と書きましたがその点から云えば
ヒーローとは神の業を使える人間でなけれなばならないとも考えられる。
神でない故に使う場所を選ぶ。その任意性がヒーローたる条件。
ヘラクレスなどは最たるものですが、この辺の英雄は大概悲惨な末路。

圧倒的な悪に対して孤高の善が挑むのか、圧倒的な善が有象無象の悪を
倒すのかは、その人の社会観が反映している様に思える。
実際にはどちらかが圧倒的と云う事はまずないからだ。

女の子がヒーローとして戦う図というのは20世紀以降よく見られますが、
大抵の男は女が一方的なことを述べても異論を云わない。それどころか
当の女性にも「おんなの直感は常に正しい」などと嘯く人も居る。
悩まないと云う点でヒーローの資格を有していると云えるかもしれない。
好きか嫌いかで悪を断罪するのは趣味で戦うヒーロー像に近いとも云える。

まぁでも本当はヒーローなんか要らなくて、むせび泣いている人が居れば
横へ行って訳を聞き、絶望に苦しむ人が居れば、手を引いて立たせてあげる。

自分がそうすればいいだけの話なのかもしれない。

でもそれが出来ないから、出来なかったから、架空のヒーローに夢を託して、
自分の代わりにみんなを助けて欲しかったのかな。

でも自ら立ち上がれる人でもその心にはヒーロー像が在ると思う。
きっとそれに比べたら自分はまだまだだと思ってるんじゃないだろうか。
[2011年1月25日 9時36分]

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