記事タイトル:悪徳の南栄三丁目 


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お名前: ななかん   
あたたたた。
…。
何をさておいても己の都合のみが優先するひとが居る。
でもそのこと自体は悪ではない。
悪の萌芽かもしれないが、それを悪とは云えない。
ただの性格である。
悪も善も他者との関係性によって生ずるのであって、
孤立した善だの孤立した悪だのは観測者の居ない太陽の様なものだ。

大抵のひとは悪でもあり善でもあるので、その時々の関わりによって
去就を決めかねる。どっちつかずな結論になってしまいがちだが、
己一心に考えるひとには迷いがなく、決断が早い。
そう云う点に置いてその性格は美点であるとも云えるが、
なんであれ悪を導くものは排除せんければならん、というのが
潔癖性であり教条主義であり筋論である。

断固たる潔癖性はそれ自体は悪ではないが、これも関係性によっては
悪足りえる。 絶対なる悪は常に絶対なる正義でもある。

悪とは他者を滅ぼす関係性と云えるのか。
他者を利用する関係性と云えるのか。
利他的であればそれは善なのか。

悪は善を滅ぼすだろうが善は悪すら許すだろう。
勝てそうにない。
だから味方したいのか。

どうしようもなく善人でありたいと願う。
何故に正義の味方が現れないのかと。

一片の歪みもないヒーローを妄想する時、
勃起したその先を先走りであられもなく濡らしてしまうのです。

[2011年2月18日 23時17分]

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