記事タイトル:「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞する。 


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お名前: ななかん   
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「ALWAYS 三丁目の夕日」

泣ける映画と評判の「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て参りました。
泣かせていただきました。
私の泣きポイントは淳之介くんの純情です。
そんな目でおれを見るなー!猛烈に恥ずかしい。

原作は西岸良平さんの短編集。「夕焼けの詩」とかのタイトルで再販本も出ている
人気シリーズ。
昭和三十年代、東京の下町のあれやこれやを、季節と共に描いていく。
と書くとノスタル爺の繰り言か、と思われるのも無理のないところですが、
西岸さんのシニカルな視点と朴訥な語り口で、普遍性をかろうじて保っている。

要は単なる「昔はよかった」で終わっていないということだ。

で、その映画化である。同様であった。
原作では短編の積み重ねで、夕日町に住む市井の人々の生活と祈りを
綴っていくのだが、二時間ほどの映画でそれを表現するのは至難。
メインを務めるのは鈴木オートの社長と、駄菓子屋兼自称小説家の茶川さんだ。
そのためか、全体にキャラクターの造形がだいぶ作り替えられているが、
まぁその辺は納得できる範疇だった。
ただあまりに美術が見事なので、当時に較べると立派な体格になった現代人では、
なんか浮いてみえてしまうのはとりあえず仕様がなかった。

なんといっても美術の勝利は建設中の東京タワーである。
あのように巨大な構築物が下町の背景に見えているのは、もはやファンタジーである。
なのに現実であるところがさらによい。
最後はこう落とすだろう、という期待もまったく揺るがなかった。
50年は子供のスパンとしては中途半端だけれど、そう云わしたい気持ちはわかる。

「リターナー」も「ジュブナイル」も未見だったけれど、この映画に関しては
監督のアプローチは間違ってなかったと思える。
若き藤子少年や石森少年が、土管の上で手塚先生のビジョンに圧倒された時、
確かに未来はあのような輝きを持っていたのである。

[2005年11月26日 12時49分34秒]

お名前: ななかん   
原作では茶川さんはすでに老境である。
幸薄い人生に、ひねくれて、すねた老人である。
それがとある縁で古行淳之介少年をひきとることになって、
彼の人生は変わってしまうのである。

それはハイジであったりクリスマスキャロルであったりするわけなのだけれど、
こういった物語にはやはり普遍性がある。
よい物語には美しい人生が必要なのだ。

[2005年11月26日 12時56分25秒]

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