記事タイトル:「黒い雨」を読了する。 


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お名前: ななかん   
「黒い雨」
「黒い雨」
云わずと知れた井伏鱒二さんの国民的小説。
部分部分に読み憶えがあるのは国語の授業で読んだものだろう。
恥ずかしながら完読は今回が初めて。
素晴らしかった、というのも変な気にさせる傑作。

物語なのにオチらしいオチのない構成は、サービスのよい現代の小説しか
知らない若い読者には理解しがたいかもしれないが、市井に生きる普通の
人々がそのまま地獄を味わう様には圧倒される。
ムクリコクリの雲が広島を蹂躙する様はまるでSFのようだが、現実なのだ。
人間ごときに許される所行ではない。
「わしらが指導してやる!」と威丈高な軍人がピカの後ではまったく役に立たず、
あまつさえ市民の救援よりも物資の簒奪を謀るとは、なんたることか。
そのような鬼畜・無頼の業も井伏さんの筆はたんたんと描写する。

息子の生存をあきらめた老母がふるさとの水を持ってってやってと頼むシーンでは、
思わずこみあげるものがあった。
今はどこへ行っても水道水でありがたみもへちまもないが、昔日の日本では
所変われば水変わると云われたものだ。
人のよって立つところを教えられたような気がした。

海外でこの話がどのように評価されているのか、少し気になる。
わたし的にはこれと暮らしの手帖は一家に常備されていてもよいと思う。
自分がおごり高ぶっている時に足下を見直すに丁度よい。

[2006年7月19日 8時24分55秒]

お名前: ななかん
この小説の主人公、重松氏は実在の人物らしい。
この21世紀になってから、原本の「重松日記」が筑摩書房から刊行されている。
「黒い雨」の中では氏の日記が非常に大きなウェートを占めており、
このことから井伏氏の盗作を疑う意見も多いのだが、当の重松氏の遺族は
井伏氏を擁護しているらしい。
批判論では作家の猪瀬直樹氏がそのことで本まで出している。(「ピカレスク 太宰治伝」小学館)

まったく知らなんだ。
経緯の真実はともかく、結果としてあの日の広島が広く知られるようになったのは、
やはりこの小説と映画の「黒い雨」今村昌平監督のおかげではないか、と思えるので
重松氏としては満足だったのでは。

作家としての井伏氏の姿勢については他の作品をまったく知らないので、なんとも
判断しかねるが、猪瀬氏はこの件ではボロクソだ。
井伏鱒二さんは実際「黒い雨」で一躍知名度があがったらしいが、本人はこの作品を
思う様に行かなかったと吐露しており、全集への収録も消極的で、複雑な成り行きを
感じさせる。
しかし主人公「閑間重松」は元の「重松静馬」をひっくり返しただけで、隠す意図など
さらさら無い様に思われ、原本を明示しないから盗作というのは不当な気もする。
ただこの作品で最も圧倒される被爆状況の描写は、ほぼ日記の引き写しらしいので
この点から井伏氏がこれを自分の著作と、胸を張れないのも納得。

こうの史代さんは広島の出身らしいが、ご自身や家族に被爆体験があるわけではなく、
「夕凪の街 桜の国」は取材に基づいて描かれた由。
「どう書いてもあの場所の感覚を表現できない。」というのは「黒い雨」の重松氏の述懐。
マンハッタン計画を主導していたオッペンハイマー博士はトリニティーポイントで、原爆の
最初の起爆に成功した時、世界が別のなにかに変わってしまったのを悟ったそうだ。
後に原水禁運動に参加し、失脚する。水爆の開発を主張するリチャード・テラーと対立し、
マッカーシーのアカ狩りに狙われたためだ。

[2006年7月19日 10時23分0秒]

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