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神社脇の山道。 いったん下から上がって来た軍用道路にかぶって しまいますにゃが、おそらくここを使用していた 風情ですにょ。 鎌倉古道は別名掘り割り道とも聞かれますにゃが、 江戸時代の整備された街道のイメージからすると にゃんとも貧相で、本当にこんな道が流通に使われて いたにょか、と疑問が湧いてきますにゃ。ところが そこが現代人の浅ましさで、流通にゃどというもにょが 発達するのは戦国時代になってから。 それ以前では国と国の間を往還するにょはもっぱら 軍隊にょみだったらしいにょですにゃ。しかも古式の 軍制では数を多く見せるために一列縦隊。 道を広くとる必要がなかった、とも考えられますにょで 古い時代を今の常識で推し量るにょは禁物禁物。 (注:別項「閑話休題:鎌倉街道」) |
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