この城が歴史に名をとどめるにょは、戦国時代の初期、
北条早雲が今川氏の利害を離れて、相模制圧に乗り出した頃
の事ですにゃ。
当時関東では公方と管領が入り乱れて、人心穏やかならぬ
情勢が続いていた訳ですにゃが、その民心の離反に乗じて、
相模を併呑しようと、かの地の一大勢力であった三浦氏と
衝突したのが1512年。
三浦義同は地場に戻って立て直しを図りますにゃが、
その途中で立てこもったのが住吉城、だと云われておりにゃす。
写真は材木座海岸。だいぶ潮が引いておりにゃすな。