あふがにすタンの嘆息。

アメリカはニューヨークにかつて世界貿易センターという双子のビルが建ってたのを覚えているかね?
マンハッタン島の突端に位置して人の視線を集める、それは見事なランドスケープだったんだよ。そこが乗っ取られた旅客機による自爆攻撃で倒壊した。アメリカ軍はミサイルや戦略爆撃には相応の対処能力を有していたが、想定外の本土爆撃に世論は激昂し、大統領はその波に乗った。本人も怒ってたのかも知れない。
攻撃を自認したテロ組織アルカイダを殲滅する。それを支援した国家も許さない。対テロ戦争との名目でアメリカの主導する同盟軍はアラブの国々を襲った。それが20年前の出来事。日本も参軍を要請されるが憲法上無理なので後方支援に回る。
更にその22年前アフガニスタンでは革命により共産党政権が樹立し、それに抵抗する多部族集団ムジャヒディーンとの間で紛争が激化、その鎮圧を名目としてソ連が国境を越えて侵攻した。その戦争は十年も続いたがソ連は得るものなく撤退。その間ムジャヒディーンを支援していたアメリカその他の諸国も脅威は去ったとして干渉を引いた。
その後も政府とムジャヒディーンは抗争を続けたが、ソ連の崩壊と共に共産党は求心力を失いムジャヒディーンによるイスラム政権が誕生する。が軍閥による内部抗争の果てに分裂対立し、タリバンやアルカイダなどの過激イスラム勢力が生まれた。今度はそれに反抗する旧政府勢力と穏健イスラムによる北部同盟が起こる。
西側にも東側にも穏当に当たりたい北部同盟と全方位に喧嘩を売る過激イスラムでは国際社会の受け止め方も偏り、アメリカ諸国は北部同盟を支援し、かつては支援したムジャヒディーンの末裔である過激イスラムの撃退を画策し始めた。カブールを掌握し独立を叶えたタリバンはますます先鋭化していった。
タリバンと同盟するアルカイダのアメリカ爆撃によって状況は一変する。圧倒的火力に抗しきれず、首都を放棄したタリバンは再びゲリラ活動に戻った。北部同盟はアメリカ諸国のテコ入れで政権を発足し西側の自由主義を取り入れた国策を取り始めるが、敬虔なイスラム教徒には馴染めず、不興を託つ温床となった。
2021年8月15日、タリバンはカブールに戻ってきた。武力よりも懐柔を重視した工作による迅速な侵攻だった。アメリカ式自由主義に眉を顰めていた首長たちはタリバンの復権を歓迎した様だ。米軍撤退は平和理に行われるとの大統領府の目算は崩れ、空港は避難民で溢れた。だが米軍は米国籍を持たないアフガン国民を守れない。多くを置き去りにすると思われる。
数多の犠牲を出し、得るものの少ない戦争を開始したのは一時の怒りの感情だった。アラブやイスラムに対する野蛮で愚鈍だと言う偏見を結局アメリカは最後まで拭えず、下等市民扱いして穏健なイスラムまで敵に回してしまった。
しかし同時にこの20年で自由主義の教育を受けた若いアフガン市民達は、コーランの戒律ばかりでない世界を知ってしまった。鹿爪らしいイマームの説教にも疑問を覚えるだろう。
この先の十年がどうなるかは神のみぞ知るだ。

基本定見。

アサイド

人をヒト扱いしない基本は挨拶を無視することです。話しかけられても言葉を返してはいけません。話題にする時は後ろから指さして笑いながら。相手がキレて怒って来たら「コイツ暴力を振るいやがった?なんて野蛮な奴!」と大声で怒鳴ります。え?当たり前なことを言葉にするな?

脳のオーバーワーク。

加齢を重ねると疲れやすく回復もしにくくなるが、体や内臓のみならず脳にもその傾向があって、物覚えが悪くなったり考えに整合性が取れなくなり、寝落ちが増えたりするのは脳が疲れているのだ、とするものの見方。少々寝たくらいでは治らないし戻らない。


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延喜式内神足神社。

以前覚え書き その三で考察した神足(こうたり)の補足だ。長岡京市内に同名の神社があるというので行って見た。場所的にはここだ。
MAP01
結論から言うと参考にはならなかった。神足という地名は桓武帝が付けたらしい。それ以前は田村か神谷と呼ばれていたようだ。

東神足交差点
府道211号線東神足交差点、近くには勝竜寺城公園とJR長岡京駅がある。

府道からの入り口
府道からの入り口。いくたりかの駐車スペースが設けてある。

勝竜寺城土塁跡
勝竜寺城土塁跡の掲示。境内に隣接している。

勝竜寺城土塁跡
以前は竹藪に埋もれていたらしいが、空堀遺構として復元。

虎口の説明
土塁の上部に虎口の説明。

復元された空堀
横矢掛かりから見た虎口。

土橋の説明
空堀にかかる土橋が堅牢に造られていたことの説明。

土橋
土橋の現状。

堀の二重設け
更に古い時代の堀を流用したことが伺えるらしい。

境内前の駐車場
境内前の駐車場。手前の瓦屋根は社務所。

本殿
本殿の手前に立派な拝殿が設けられてる。

縁起書
言い伝えによると桓武天皇の夢枕に神が立ったので、祀るために創建された、とある。

本殿向かって右に末社
本殿向かって右に末社がある。

扁額には野神天神
扁額には野神天神とある。由緒には末社御祭神としてオオドシノカミ、シカヤノヒメノミコトとあるので、そこから由来するものと思われる。

本殿向かって左にも末社
本殿向かって左にも末社があるが、しめ縄が張られているにも関わらずなんだかゴミ置場のような扱い。

本殿を側面から
本殿を側面から見る。銅葺きの立派なお社だ。もともとはもっと西にあったらしいが、東海道本線の建設に伴い、この地に移動したらしい。境内が土塁を塞いだ形で建っているのはその為と思われる。

本殿を側面から
本殿と拝殿を繋ぐ回廊が見受けられる。

拝殿正面
拝殿正面。正月の飾り付けも賑々しい。

拝殿からクランクして参拝道
拝殿からクランクして参拝道があった。こっちが正面だったのだな。

今は二の鳥居
今は二の鳥居だが古いものだ。

元禄十七年
元禄十七年と読める。元禄年間最後の年だ。

現一の鳥居
現一の鳥居は御影石の立派な鳥居だ。平成八年、御鎮座千二百年記念と読める。

一の鳥居正面
一の鳥居正面。神足神社、延喜式内と誇らしげ。

一の鳥居正面
一の鳥居正面。

由緒書き
御祭神にアマノカミタチノミコト、トネリシンノウとある。先の夢枕にこの神が顕れたのだろうか。一説にはこの時、神の足しか見えなかったので神足とされたとか。

石灯籠
石灯籠には安永五十と読めるが安永年間は十年しかないので五年のことと思われる。

奉献者名簿
一の鳥居建立奉献者名簿とあるな。およそ二十数年前。

社務所
社務所。

神足公園
横は神足公園になっている。ここももともとは薮だったようで、昔の神足神社は鬱蒼とした林の中に建っていたそうだ。

長岡第九小学校
公園の向こうは小学校になっているが、

神足遺跡発掘
ここを造るにあたって地質調査をしたところ、住居跡がみつかり神足遺跡と名付けられたが、埋め戻された。

神足遺跡発掘
旧石器時代からこの辺りには生活のあったことが伺える。

交通の要衝
今も昔も交通の要衝だったようだ。

命名が桓武帝というのは否定的な要素かもしらん…。単なる偶然とも考えられる。


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大阪民国(ダイハンミンコク)を建てよう。

大阪民国(ダイハンミンコク)を建てよう。
名前は煩わしいネトウヨ様に退去して頂く方便だから、
別に大阪民主主義人民共和國でもいい。

この国では46年日本国憲法を尊重し、祖法とします。
まず東京皇居からどなたか内親王殿下に御動座頂く。
男系の皇統は日本国が手放さないだらうから、
こちらは姫様が喜ばしい。
南朝の復活だ。

出来れば畿内、京都、大阪、奈良は国土として押さえたい。
ヤマトのまほろばは我々が牛耳った。

原発を国のエネルギー機関と定め、関電に独占権を与えます。
ただし、放射能の守り人として、その汚れを一身に引き受けて頂く。
嫌だと云うなら即刻廃炉だ。

畿内の自衛隊や警察、消防署などは国際救助隊に格上げ。
国境など守らんでいいから、困っている人の所へ飛んで行け。

第二次南北朝時代は南朝の皇統断絶で終わる。
天皇位は人間が務めるにはあまりに過酷だからだ。

最終的には日本国再統一になればなお良い。
条件は自民党憲法の取り下げだ。
まぁ他はどうでもいい。


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小生、人生に大悟した。

開眼したーッ!
「牛肉を食す時は卵を介せ。」
放っといても油の多い豚肉は安かろうが高かろうが、
脂肪の悦びに浸れるが、
霜降りでない牛肉はよく噛まないと味わいが出て来ない。
そんな時は卵だ!
卵黄の甘味が牛肉の足りない油分を補って満足感半端無い!
まぁ貧乏人は肉なんて贅沢吐かすなと云うだけかも知れない。

タンパク質を穫れる幸運に文句垂れるなって話だ!


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ひらめき至上主義。

ものを作る人は総じてそうかと思うのだけど、インスピレーションを
大事にする。理屈だけで話作ったり、絵を描いたり、作曲したりしても
大抵つまらないものしか出来ないので。

でもそれに頼るあまり手段が甘くなるとせっかくのひらめきが台無しになる。

ひらめきを得たら、ちょっと間を置いて、なぜそれが良いと思うのかを考える。
その良さを理屈付けしたら、次にどう表現したらその良さを最大限引き出せるかを
考える。
一番良いのはそれが何故良いのかを他人に説明することだ。
説明している間にひらめきが確信に変わる。
自分の中で体系化される。
さらに説明しやすくなる。

Zガンダム以降の富野アニメに足らないのはそこでないかと思う。
富野監督はあれこれ思いつくアイディアマンだけど、Z以前なら
スタッフになんでそうなるの?と説明を求められていたのではないかと。

ある程度実績を作った今は「監督のやることだからなんか意味があるのだろう」と
スタッフがよく判んないけどその通りやってしまう。
結果、よく判んないアイディアの羅列で終わる。

でもアイディア自体にはそれぞれ驚きがあるから、なんか得た様な気になる。
トミノカントク、スゲー!じゃなくて、そこは勿体ないと思えと。
聞けと。なんでそうなるのかを聞けと。

しかし集団作業の(金のかかる)仕事がそんな訳の判んない主導で進むのか、
と云う疑問はある。

せっかくの才能が空回りしてる感がある。


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震災当日。

阪神淡路大震災の日は鎌倉に居りました。
目は覚めなかった。
朝起きてテレビを点けると阪神高速が横倒しになってた。
自宅の方は幸い大した被害もなかったのですが、
西宮の伯父の家は被災したらしい。
後日片付けの手伝いに伺いましたが、
猪名川の向こうとこちらで世界が変わってた。
コンクリやアスファルトが砂糖細工の様に
ねじ曲がってた。
何度もお参りした大楠公の湊川神社も倒壊。
思い出の場所のほとんどは瓦礫の塊で
見る影もありませんでした。
とは言え西日本の大動脈、復興は迅速だろうと
亡き父の見立てでしたが、確かにインフラの回復は早かった。

東北北関東大震災の日は大阪に居りました。
仕事中、気味の悪い横揺れ。
震源はどっか遠くだろうとすぐ判りましたが、
遠いのにこの揺れ方はと案じていると、大津波の映像。
まるでミニチュアの街を呑み込んで行く特撮の映像かと。

どちらも凄まじい破壊でしたが、直接の体験はなかった。
大阪には今でもその時に落ちた屋根を覆うブルーシートの
家がちらほら残っております。
あれも20年モノなんだな…。


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積極的法治主義。

「現行の道交法では赤信号は進行注意ですが、」
「進行禁止。」
「…禁止ですが、限定的な状況であれば進行出来ると云うのが我々の研究結果で明らかになっています。」
「ほう例えば?」
「救急車ですね。」
「成る程、他には?」
「お爺さん、お婆さんが危機にある時」
「え?」
「今のままでは救えないんですよ?そんな事が許されますか?」
「つまり赤信号は無視しても良いと?」
「バカ云っちゃいけませんよ、法は守らないと!ただ進行出来る要件にはいろいろあるだろうと云う事が云いたいのです。」
「ふむ。」
「あと道路上に撒き菱が撒かれていた場合ですね、」
「え、撒き菱ですか?」
「無いとは断言出来ないでしょう。あらゆる場合を想定すべきです。」
「はぁ」
「撒き菱を撤去する間の駐車は駐禁を解除される必要があります。」
「それだと停め放題になりませんか?」
「断じてなり得ません。」
「さっきは断じられないと…。」
「どうしてそう細かい事をあげつらうんですか!」

あなたの頭がおかしいから。


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