「ジャンゴ 繋がれざる者」を鑑賞する。

「ジャンゴ」パンフ
「ジャンゴ 繋がれざる者」
配給:松竹/ソニーピクチャーズ
制作:クエンティン・タランティーノ
脚本:クエンティン・タランティーノ
監督:クエンティン・タランティーノ
2013年3月1日封切り

なんか愛すべきQTが、映画製作から足を洗うとか聞いたので。

日曜の昼間にサンテレビでやってそうな安っぽい映画だった。
が、無論タランティーノだッ。
ソコは狙ってやっているッ。

今でこそ人権だの民主主義だの偉そうに説教コキまくりのアメリカが、
その若い頃に何をやっていたか、血しぶきと硝煙の嵐とともに描きまくる。

実態的にも法的にも、黒人奴隷をヒトと認めてなかった頃のアメリカ。
鎖につながれ、ボロしか身にまとうものもないジャンゴのもとへ、
天使ともメフィストフェレスともつかぬ歯科医キング・シュルツが現れる。

ドイツからの流れ者であるシュルツは黒人をヒト扱いしないアメリカ流を
嫌悪しており、ジャンゴの能力を認めて彼を一端のガンマンに育て上げる。

マカロニ・ウェスタンは「荒野の用心棒」から始まったと云われている。
セルジオ・レオーネ監督、主演は当時新人のクリント・イーストウッドだ。
そしてそれは黒澤明監督の「用心棒」のパクリ=リスペクトだった。
「用心棒」に心酔したレオーネは、仲間と共に何度も映画館へ足を運び、科白、
筋書きをトレースしていったと云う。これが本家アメリカで大ヒットし、
B級、プログラムピクチャーに過ぎなかったイタリア製西部劇はその市民権を得た。

本作はその続編として日本では「続・荒野の用心棒」で公開された「ジャンゴ」
そのままのタイトル。内容は全然違うが無意味に残虐な描写、残酷な展開は
まさに当時のマカロニ・ウェスタンそのものだ。
しかも黒人奴隷の不遇を据えることにより、残虐が無意味でなくなっている。
惚れた女と一緒になりたいと云う、ささやかなジャンゴの望みを、あざ笑い、
踏みにじった白人や黒人達をジャンゴの復讐の砲口が肉塊に変えて行く。

タランティーノは「マカロニに反省や改悛は要らない。観たいのは爽快な復讐だ。」
と語ったそうで、ここにはキリスト教的仏教的な寛大さは一切無い。
実際ジャンゴを貶める白人農場主や黒人執事は
どいつもこいつもどうしようもないクズで、
連中の考えの改まらなさ加減はこの映画のベクトルと緊張を一手に引き受けている。

それだけに一握りの不快感が残る。
ジャンゴ、お前それでいいのか、と。
「荒野の用心棒」の原題は「一握のドル紙幣」というのだが、
マカロニ全般に通底する無常観や諦観がここにもある。
タラちゃんはこれにも意味を加えている様な気がしてならない。
だってこの映画は二人のインテリの対決の映画でもあるからだ。

ドイツ人医師シュルツとアメリカ人農場主キャンディとの。


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