逆道のアポロン

ご本人が元の日記を削除してしまわれたのでこっちに。

「坂道のアポロン」と云うジャズ風味のBL調アニメ。
その宣伝に、セッションシーンは著名なミュージシャンの運指を
トレスして臨場感をとあり、
「現実をなぞるだけのものがアニメートと云えるかッ!」とお叱り。
本旨には賛同するも、わたしはもう少し悲観的な見方を。

人間が感じるリアリティと、実際のリアルとの間には、ほんのちょっと違いがある。
アニメでは多少オーバーなくらいで丁度いい案配になる。
物理的には正しくないが、その方が人間はリアルであると感じる様だ。
印刷では人間の顔は実際よりも赤い方が健康的に見える。
逆に野菜などは実際よりも彩度を高くしている。
その方が鮮度がいいように思えるからだ。

ひとは主観を抜きにして物事を観察出来ない。きらいなものは
より醜く見えるし、好きなものはより素敵に見える。
この操作が行われないものはなんだかピントのボケた表現に思えるのだけど、
機械的な記録と比べると、その方が現実には近い様だ。

確かにレイヤーを重ねてトレースするだけでは、モーメントは起こらないだろう。
それは機械的な手順。
だったらエンハンスでもかけて輪郭を補正すればいい。
大昔には洋物のアニメでは手だけ実写合成とか、口だけ実写とか、
今見れば際ものっぽい演出もあったりしたのだ。
それからすれば今回はアニメートされたキャラクターが演奏してるから
まだ手間をかけている、とも云える。

多分件のセッションシーンもただなぞるだけには終始してないと思う。
著名な奏者の演奏を、その印象毎アニメ化しようとすれば、現実の運指から
乖離しないとおそらくその様に見えないだろう。

まぁでも「不自然に見えた」のならただトレースしただけなのかな?

この事から得られる知見は、人と云うのはイメージの中の現実を
実際の現実に重ね合わせて見ており、イメージと現実が乖離している時は
イメージの方を優先するということだ。

自分がそうは思えないからそれは間違っていると云う判断は、ともすれば
客観性から遠のいてしまう。
主観と云う眼鏡を通して物事を見ている、その上で美しさを追求するのだ。
云うなれば「仮定の上に仮定を構築」しているようなものだ。

これがいかに危険な事かを忘れてはいかん。

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