記事タイトル:行き過ぎた規制を憂う 


下欄へ  
お名前: ななかん   
電車内でのイヤホンの使用を全面的に禁止し、周囲の人々にも通報を義務づける
都条例の行方が心配されている。
JR東日本広報室長の中田一男さん(41)は、
「あのシャカシャカ音が好きな人だっているだろう。些細な音にイラだつ人
ばかりではない。もっと大局的見地にたって判断できないものだろうか。」
と発言し、物議をかもす一方、全国のミュージックプレーヤー愛好家から
やんやの喝采を浴びている。
「耳障りだというのならば、自分が別の車両に移動すればいいのだ。」
「どうせ走行音でまぎれる程度のものだろう。神経質過ぎる。」
今まで文句を云う奴には「殺すぞ」の脅しのみで、ひたすら忍従を強いられていた
一部のユーザーには心強い流れを醸している。

いずれにせよ、こういった嗜好に類する部分を行政が法的に縛り付けるのは
健全な法治国家のありようではない。
だからといって公共の場で自身の嗜好品を、他人に強制する権利など誰であれ
認められるものでもない。
何故に権利や義務といった基本的な部分が意図的に蔑ろにされるのか、その辺り
のほうがはなはだ疑問ではある。

喫煙に関するニュースを読んでの創作。

[2005年2月17日 23時23分54秒]

お名前: ななかん   
思うに、喫煙しないのも趣味だから俺ッちに強制するんじゃねぇ、と
云いたいらしいが、詭弁家がよく弄する詐術の類いだ。主格のすり替えである。

喫煙行為そのものは、社会生活の潤滑油ではあっても生存に必要不可欠な
ものではない。故に吸いたいという欲求自体は本人の問題である。

やはり喫煙者には他人に迷惑をかけているという自覚に乏しい人が多いようだ。
自分は密かに喫煙者の真の欲求は、受動喫煙状態によって他人に危害を与える事による、
サディズム的優越感なのでは、となかば確信している。
でなければ、公の場でああも堂々と自分の悪趣味を吹聴するみっともなさが理解できない。

[2005年2月18日 9時49分35秒]

記事一覧に戻る