記事タイトル:負けたのを記念する日 


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お名前: ななかん   
矢折れ、力尽き果てたのに、中央にいて戦況に一喜一憂していた

幕僚本部の若造どもが、この上は自ら抜刀して戦うから、お前ら わしの盾となって死ね。(わしが盾になるからお前ら生き延びろ、じゃないんだよね)
と意気込んでいたのも面の皮。
天皇大権を利用して鈴木内閣の停戦決議。
一度張りつめていた物が抜けると、あれはなんだったのか、と。
冷静になって考えると、対米最終決戦なんて無理じゃん。ゲリラ戦ならともかく。
あり得ない机上の戦略。
しかし、それを認めると、似たような無茶な作戦で死なせた幾百万の兵卒に、
なんと云って申し訳がたつ?
「僕、勉強不足でした。アメリカ研究からやりなおしまーす。テヘッ。」
で許してもらえるか?
あり得ねえッ!それこそあり得ない。
認める訳にはいかん。断じてそこは認める訳にいかん。

思えば、盧溝橋事件このかた、帝国軍は思い込み、見込み判断の甘さが
連続していて、なんでそんな増長していたのか。敵が弱いと手前勝手な
都合で決めつけて、情報の少なさを気合いで覆せると、本気で考えていたのか。
自分の懐具合も考えず、それどころじゃない時に不用意に戦線を拡大していた。
戦略で勝る敵の翻弄に後手を踏み、その手当もままならない中での経済封鎖。

本当どうしてればよかったのか。

日露戦争での勝利後、亜細亜が期待するように、亜細亜そのものの近代化に一命を
投じて邁進していれば、大東亜共栄圏もあながち絵空事にはならんかったろうに。
日清戦争後、軍閥の割拠ですっかり大国の威信を喪失していた中国には、良き弟として
接してやれなかったものか。
兄が立ち直るまで、その脚で立ち上がるまで。

そんなあり得たかも知れん日本の姿でも、ひとつの目標ではあるのかな。
「俺だってのび太なんだぞ!」ではあまりに子供っぽい。

今日、小泉総理、公約にそって靖国神社参拝。
もうこの神社、我が国の国益にあわないんですけど。

[2006年8月15日 9時57分9秒]

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