記事タイトル:死刑問題。


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お名前: ななかん   
三度目の結審で宮崎勤被告の死刑が確定する由。
本人はどういう根拠からか、無罪を主張し刑の確定も
何かの間違いであると信じているらしいから、死にたがって
いないのは確からしい。
であるならば、死にたがっていた上にやりたいことはやり終えた
宅間守被告を死刑に処してしまったよりは

殺しがいがあるというものだ。

生きたいと思っている奴を殺してこその復讐である。
例えそこになんら解決がないとしても、
大事な娘を汚され、殺されたあげく、助けてあげたなどと
のたまう被告がのうのうと作家ヅラなどされていては、親に
なんの救いがあるというのか。

またこういう場合でなければ死刑制度など布く意味がない。
それとも生殺与奪はただ「世界」にのみ許された特権として
絶対不可侵にすべきなのだろうか。
自分が属する社会から「死んでしまえ」などと呪われる息子を
持った家族の立場も考えるべきだろうか。

[2006年1月18日 10時9分46秒]

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