記事タイトル:負け惜しみ 


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お名前: ななかん   
意味不明な事象に接した時、人は過去の経験から似たような事象を引っ張りだし、
無理に適応したあげく、そうに違いないと勝手に納得して終わる。
例によって満足しているのは本人だけで、当の事象もそれに相対する自分の立ち位置も、
なんら変化などしていないのだが、そうやって片付けてしまわないと、その人の主体が
損なわれるのだろう。
「ふ〜ん、なるほどね。そういうことですか。」
こういう台詞が口をついて出たら、二三回はおのれを疑うことを推奨する。
本当に解っているのか?
理解した気になって、安心してないか?
目の前に立っているひとは本当に見た目通りの人間か?

ブッシュよろしく、解ったつもりになっている人に「違うかもよ。」などと
云っても、「こいつ解ってないな?さては」と逆に侮られるだけだ。
なにせ相手は「解っている」のだから。
後でやっぱり実態の違うのがはっきりしたとしても、それが解る自分が偉いと、
なぜか自己実現してしまう。
この手の手合いと意思を疎通させることは不可能だ。
そもそも相手はこちらを見てない。
おそらく人間であるとも思っていないだろう。

[2006年8月16日 9時59分26秒]

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