記事タイトル:昔日の鎌倉 


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お名前: ななかん   
今はむかし。
アパートの近くに飯島岬というところがあって、逗子満里奈のすぐそばなのですが、
そこの正覚寺の墓地を用もないのにズズイと上がっていくと、そのつきあたりに
住吉神社なる寂れたお社を発見します。

ここはその昔、北条早雲が相模併呑を目論んだ折、地の豪族である三浦一族と戦争
となり、最初平塚の岡崎城で決戦を考えた三浦義同(当時の三浦氏の当主)でしたが
敵せず、弟が守るこの住吉城にて体勢を建て直そうと計りますが、ここはもともと早雲が
鎌倉の古い見張り所を改造した城だったので、あっというまに蹴散らされ、三浦最後の
奥の院、新井城へたてこもります。

結局三浦氏は早雲に滅ぼされてしまいますが、その後早雲は手厚い施政を布いたので、
地元の反発を受けることもなく、早雲の関東計略の足がかりとなったのでした。
で、当の住吉神社はこの住吉城址に建てられたお社な訳ですよ。

境内には神域らしからぬ掘り井戸やの洞窟などがあって、山の中でなかなか不気味な雰囲気を
醸しておりますのですが、実はこの洞窟は山の向こうまで貫かれておりまして、15メートル
ほどですが、抜けた先が「ぼんばた」という、これまた古い郭の跡を畑に再利用したとか
謂れのある段々畑で、なかなか少年心をくすぐるギミックだったのですよ。

ところが先日久しぶりにこの洞窟を通り抜けようと赴いたところ、出口が無粋な鉄板で塞がれて
いるではないですか。反対側へまわって、ぼんばたのあたりを眺めてみますと、どうやら
マンションを建てるために、斜面を切り崩した模様。

私有地だから入るな、ということらしい。

なんとも品のない。

先日も京都の高瀬川界隈をぶらぶらしていたら、京のしもたやを圧倒してそびえ立つ
鉄筋のマンションにげんなりしたものですが、この手の連中の売り文句が「京都に暮らす」
とか「鎌倉に住む」とかですから、何をかいわんやです。

物のありがたみを知らぬ朴念仁があとを絶たぬものよな、とかく語り伝えたるとや。


件の洞窟。

洞窟の中。

件の掘り井戸。

[2006年6月19日 9時47分45秒]

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