記事タイトル:お礼参り 


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お名前: ななかん   
当今に限らぬことなればさ、他人から注意を受けるとなれば、
「お、迷惑になってたか。こりゃすまんこって。」と頭をさげるのが
常なる振舞いとおぼせしが、常々増長傲慢の輩なると、
「野郎、この俺様に意見しやがって。何様のつもりだ?」と
世の荒廃を憂えるにわか壮士に早変わり。
なんでそれが世の荒廃なりうるのか、常なる己へのその絶対の信頼の
基たるはなんなのか?
実に理解しがたきは人の心の綾なるかな、と思いえたりいたるとや。
それも増長慢か。

近頃無責任な母親が増えたように思う。
明らかに子供を嫌っている。
愛がない。
「自分のように」ちゃんと出来ない我が子がうっとおしくて仕方がない。
それを教えるのが本人の役目なのに。
汚したり、騒いだりするのを戒める前に殴る、ののしる。
周囲が見かねて母親を諌める。
「お前らに何が解る?」とさらにキレる。
でなければ押し黙る。
子供と同じレベルで張り合っている。

なんで子供などつくったのだろう。
サカるのだけは一人前に。
君らに人など育てる資格はない。
そもそも人ですらない。
水汲みからやり直しなさい。

[2006年7月14日 9時46分41秒]

お名前: ななかん   
無責任な母親と無自覚な父親はワンセットであろうとは思う。
子供や家庭に無責任な父親はそれこそ無数にいるが、これまでなら
その分は母親が全部しょいこんでいたわけだ。
それがすなわち帝国の礎たる家父長制というものだ。
兵士として帝国の為に死ぬべき男は、家族に責任など持ってはならなかったのである。
だから女には人権などなく、ひたすら銃後を守るべく貞女たれ、と教育された。
今、男は死ぬ訳でもないのに家庭に責任を持ちたがらず、ひたすらの忍従が
美徳と教えられた女たちには平等原理が吹き込まれ、原則と実態の遊離に悩まされる。

妊娠して体型も変わり、乳臭くなった女房に食指が動かず、外におんなを囲うぐらいは
当然とばかりに、「お前がヘマをこくから結婚してヤッタんだぞ?文句いうな!」と
避妊にも責任を取らず、人生おいしいところだけつまみぐいするような旦那を、それでも
惚れた弱みでなんとか振り向かせたいのに、脚を引っ張る乳飲み子。
「お前さへ居なければ…」と向ける憎悪の矛先が違う。
そしてここでもいつものつぶやきが聞こえてくる。
「なんでわたしだけが…。」
こんなストレスの固まりに育てられた子供に健やかな成長を期待するのは、酷であろう。

とはいえこれも牽強付会。親の愛を絶対視するのも考えものだ。
それは民族や習慣や時代によっても、変化していくもの。
親の愛を知らぬ子供でも、フィクションなどでは容易にその存在のあるを
感得してしまう。社会集団の中に居る限り、それはいずれテンペストのように
はらわたを引きずり出されてしまう。
また知らぬがゆえに構築される家庭も、ひとつの揺らぎである。

ただひとつ云えることは子供の首に首輪を付けて、四つん這いで歩かせるような
親であっても、子供には絶対なのである。親たるもの、その信頼を裏切ってはならない。

覚悟が必要なのだ。自分とてまさかに木の叉から生まれたわけでもあるまいに。

[2006年7月14日 13時32分43秒]

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