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お名前: ななかん   
“くわえたばこ”が代名詞…俳優からも慕われた温厚な人柄
2月14日2時1分配信 読売新聞

 軽妙洒脱(しゃだつ)な都会派の感性と実験精神あふれる映像で、
戦後の日本映画界をリードした市川崑さんが、13日亡くなった。
90歳を超えても、なお意欲的に映画作りに努めた監督は、
昭和から平成にかけ、数々の名作を残した。
 体調を崩して、東京都内の病院に入院したのは先月下旬。
小康状態が続いていたが、13日未明、家族に見守られ、
眠るように亡くなったという。

 市川さんは、1915年、三重県伊勢市生まれで大阪市育ち。
33年、後に東宝と合併するJ・Oスタジオに入社し、
アニメーション映画の下絵描きからスタートした。この時、
ディズニーなどの漫画映画を多数研究したことが、後年の演出に役立った。

 メロドラマから都会派喜劇、記録映画や文芸作品と
さまざまな分野に積極的に挑戦。映像にかける盛んな実験精神は、
記録映画「東京オリンピック」で頂点に達した。記録より選手の
表情を克明にとらえた作品は爆発的なヒットとなったが、
一方で、「記録か芸術か」の論争を呼んだ。

 市川映画を支えたのは、夫人の由美子さんだった。
和田夏十(なっと)の筆名で51年の「恋人」以来、市川さんの映画の
大半の脚本を担当。映画界ではおしどり夫婦として有名で、
夏十さんの脚本は、華麗な映像テクニックを駆使した市川映画に
テーマ性を吹き込み、奥行きを持たせた。
 83年に、35年連れ添った夏十さんと死別してからは
一人暮らし。しかし、映画への情熱は衰えを知らなかった。
2006年12月に第51回「映画の日」特別功労大章を
受章した際には、「90をちょっと超しましたが、
もう1本くらいは」と力強く語っていた。

 その温厚な人柄と柔らかい物腰は、スタッフだけでなく俳優からも
慕われた。かつては、黒縁のメガネにくわえたばこがトレードマーク、
「1日100本」の愛煙家だったが、晩年は禁煙。
リメーク版「犬神家の一族」撮影現場では、たばこのかわりに
「禁煙パイプ」という姿が見られた。

 また、大の肉好きで料理もプロはだし。サラダ油にしょうゆを
混ぜた「崑風ドレッシング」を考案し、食品会社が売り出した
こともある。ミッキーマウスの大ファンとしても知られた。

最終更新:2月14日2時1分

また一人頼りになる先人が逝ってしまった。
晩年の作品はこちらも見てないが、歳を重ねてもアカデミズムに収まらず、常に変化し挑戦を
続ける人だった。新藤兼人監督との対談でお金が足らないみたいな事を言われておられて、
こんな第一人者でも金策かと、興行界の体力の無さを感じさせられた。

こちらが40なら向こうは80。かつてのヒーローが鬼籍に入るのはむべなるかな。
溝口健二、小津安二郎、黒澤明、戦前戦後の名監督が亡くなられた時は市川さんもきっと時代を
感じられていた事だろう。きっと今頃はスタジオで苦楽を共にした仲間と再会を喜んでいる、
そう思いたい。

合掌。

[2008年2月14日 8時11分6秒]

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