記事タイトル:豊能町買い出し紀行 


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お名前: ななかん   
閉校の大阪府立城山高、最後の卒業式


 学校はなくなっても絆(きずな)は永遠です−。約60年前、交通網が整理されていない山間地に
「子供たちに高校教育を」という住民の“悲願”で開校した大阪府立城山高校(豊能町)。少子化の影響で
閉校することになり1日、最後の卒業式が行われ、卒業生35人や教員、保護者らが別れを惜しんだ。
(高瀬真由子)


 城山高校は、昭和23年に開校。当時、山間地で冬には交通網が遮断されるなど道路が現在ほど
整備されていなかったことから地元住民が「他地域への通学が困難な子供たちに高校教育を受けさせて
やりたい」と熱望。地元住民らが中心となって、山を削り、校舎作りや通学路の整備などを行った。
園芸科と普通科をもつ高校として、ピーク時の昭和60年代初めは、約400人の生徒が在籍し、
卒業生は総勢3310人にのぼる。

 山々に囲まれた豊かな自然の中で、環境教育を実践。また障害を持つなど他校に通いにくかった
生徒もとけこみやすい家庭的な雰囲気が特徴だった。しかし、少子化の影響で生徒数が減少。
最近では、地元中学からの入学者も数人になっていた。府立高校の再編整備計画に基づき、
府立園芸高校(池田市)へ統合されることが決定。平成18年から生徒の募集を中止していた。

 この日、最低気温が0度近い寒さの中、スーツ姿の生徒たちが保護者とともに登校。午前10時から
始まった卒業式では、卒業生が1人ずつ壇上にあがり、卒業証書を受け取った。小山正辰校長は
「規模は小さかったが、教師と生徒が濃密な関係を築いてきた。この3年間のことを忘れず、
すべてを糧にして生き抜いてほしい」とエール。生徒会長の江藤涼樹さん(18)は、
「最後の城山を盛り上げようと行事も増え、とても充実していました。最後の卒業生という誇りを
持って卒業します」と力強く話した。

 式の後、卒業生が入学当初から3年間練習を続けてきた和太鼓を披露。和太鼓は「閉校が決まっても
気持ちは1つに」と願い込めて力いっぱい演奏した。そして最後に卒業生が一人ひとりマイクを握って
「城山最高!」「城山はなくなっても絆は永遠です」「家族のような学校でした」などと思い思いの
言葉を述べると、保護者や教員の涙を誘っていた。

3月2日7時51分配信 産経新聞


切畑の交差点から少し上がった所にある、元は城跡だったという小高い丘の上にある高校。
園芸科を備えており、府道の脇には授業で使うらしい農園とビニールハウスがあって、
時々実習で泥まみれになった生徒が水場で足を洗っていた。
周囲はなだらかな盆地で田畠と集落に囲まれたのどかなところなんだけど…。

人の絶対数が減って行くと、基本的な社会サービスも維持が難しくなる。
山間に残った一軒家に上下水道や電線、ガス管などわざわざ延ばさんだろう。
自給自足が基本だった古い時代よりも人口は減って行くんじゃないかな。

そんな世界の山の民は文字通り不可触民として扱われる。
集落は発生するだろうか?もう既にどこかには存在するのかな?

[2008年3月2日 8時35分21秒]

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