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お名前: ななかん   
忌野清志郎さん死去 58歳
2009年5月2日23時5分 asahi.com

バンドRCサクセションやソロで活躍した日本を代表するロックシンガーの忌野清志郎
(いまわの・きよしろう、本名栗原清志〈くりはら・きよし〉)さんが2日、
がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。
葬儀は9日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。
喪主は妻の栗原景子さん。
51年東京都生まれ。70年にアコースティック編成のバンドRCサクセションでデビュー。
その後、よりロック、R&B色を強くしたバンドとして生まれ変わり、
「スローバラード」(76年)「雨あがりの夜空に」(80年)「トランジスタ・ラジオ」(同)などがヒット。
82年には坂本龍一さんと歌った「い・け・な・いルージュマジック」が話題になった。
ライブでは、髪の毛を逆立て、派手なメークと独特の歌い方で観客を熱狂させた。
「愛しあってるかい?」などステージ上の決めゼリフも多く、後進のロックバンドに大きな影響を与えた。
反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」(88年)、またパンク風に編曲した「君が代」を
収録したアルバム「冬の十字架」(99年)がともに発売中止になり物議を醸す。
「北朝鮮に行きたい」と歌うなど、社会問題を果敢に曲に取り込むことでも知られたが、
同時に、何かの運動のシンボルに祭り上げられることはかたくなに拒否してきた。
06年7月、喉頭(こうとう)がん治療のための休業宣言をしたが、その後復活ライブ。
08年7月、左腸骨への転移が見つかり、すべてのライブ活動をキャンセルし通院治療していた。


数々の偉大なミュージシャンに倣ってロックを体現してた人だ。
判断の基準は常にロックかそうでないかだった。
闘病そのものもこの人にはロックだったに違いない
これからは手本になる。 俺は清志郎ほどロックか、と若者は自分に尋ねるだろう。
しばし泣く。

[2009年5月3日 7時16分]

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