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お名前: ななかん   
手塚漫画と「ブラジルの巨匠」共作が実現へ 生前に約束
【サンパウロ=平山亜理】

「漫画の神様」手塚治虫氏が親交の深かったブラジルの漫画の巨匠、
マウリシオ・デソウザ氏(74)と約束しながら、手塚氏の突然の死で
果たせなかった共作プロジェクトが実現する。平和を求める冒険物語を
映画にする構想は幻に終わったが、手塚氏のキャラクターも使った漫画を
デソウザ氏が描くという形で、2人の夢が、手塚氏の死後20年以上
たってかなうことになった。

デソウザ氏は「ブラジルのディズニー」とも呼ばれ、2009年で
漫画歴50周年を迎えた。ブラジルで出版されるコミック雑誌の大半を
デソウザ氏の作品が占める。

サンパウロ州で日系人に囲まれて育ち、妻も日系人ということもあって、
長年、手塚氏のファンだった。1984年に手塚氏がブラジルに講演のため
訪れた際に実際に知り合いになり、互いの家やスタジオを訪ね、作品について
意見を交わす関係になった。

デソウザ氏は振り返る。東京を訪れたある時のことだった。
「『世界平和について描きたい』と話した手塚に『その考えが気に入った。
私は自分の漫画で描こう』と言ったら、『一緒にやろう』と手塚が言い出したんだ」

手塚氏の「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」と、デソウザ氏の作品「モニカと仲間たち」
などのキャラクターが、一緒に平和を求めていく冒険映画??。
これが当初のアイデアだった。ブラジルでも手塚氏のアニメ作品はテレビで放映され、
人気があった。デソウザ氏は訪日のたびに手塚氏と会い、構想を練った。

ところが89年にデソウザ氏が訪日した際、いつも空港で出迎えたり一緒に
食事をしたりしてくれていた手塚氏と、なかなか連絡が取れなかった。


やっと秘書から電話があり、東京・赤坂のホテルで待っていると、手塚氏が現れた。
やせ細っていた。病院を抜け出してきたのだった。2人の映画の話になると、
みるみる生気を取り戻し、数時間話し続けた。胃がんという自分の病については
一切話さなかった。

それが最後だった。数週間後、ブラジルに帰国したデソウザ氏は、
手塚氏が亡くなったと知らされた。

だが、デソウザ氏は夢をあきらめきれなかった。2人による映画ができなくとも、
1人で引き継いで、漫画で実現できないかと思い続けていた。

昨年初め、イタリアで開かれたブックフェアで、手塚プロダクションの
編集担当者に会うことができた。「リボンの騎士などのキャラクターを、
自分の漫画に使わせてほしい」と頼み込んだ。手塚プロダクションの担当者は
「どうぞ、と許可を出しました。2人は親交がありましたから」と言う。
海外の漫画家に手塚氏のキャラクター使用を認めたのは初めてだという。

「やっと約束を果たせる」とデソウザ氏。今年6月をめどに、手塚氏の
「リボンの騎士」や自分の作品のキャラクターを使い、世界にあふれる暴力や
アマゾンの森林伐採のような環境破壊といった問題に立ち向かっていく人々の
ストーリーを作りたいという。漫画はポルトガル語で出版するが、デソウザ氏は
日本語版の出版も考えていきたいという。

2010年1月10日13時49分

アタシにもランプを描く許可をもらえないかな。
[2010年1月11日 8時25分]

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