記事タイトル:ヒロシマ忌 


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お名前: ななかん   
本日八月六日は人類が初めて核攻撃を受けた日であります。
65回目にして初めて爆撃当事国の大使の臨席を得られまして、
追悼式典などされている様子。

しかしよく参列されましたな。
針のむしろに座る様な気分でしょうに。
どうでしょう、菅総理。日本からも真珠湾攻撃の日に
参列されましては。

韓国籍の国連事務総長も「チョッパリが自業自得ニダ!」とか
無茶な事を云うかと思ってましたが、控えられたご様子で安堵
致しました。

核兵器は云うなれば戦国時代に現れた火縄銃のようなもの。
武士の習いも数で押す戦術も無効化してしまうチート兵器。
それをもって大国同士がつば迫り合いしてる世の中で、
「我が国は核兵器を持たないし、作りません」とか、
バカなの?死ぬの?と再軍備を求めておられる方々は思っておられる
ことでしょうが、持てば使ってしまうのは世の習い。
大国が寸前で自制してこられたのも、一発で都市を吹き飛ばしてしまう
性能に対する恐怖とヒロシマやナガサキの実際の惨禍があったればこそ。

核の廃絶は左巻きの妄想と片付けたいタモガミな人にも
それを使用する事でどんな有利があるのかをもう少し考えてもらいたい。

ピョンヤンを核爆撃して、山の様な被爆者と怨嗟を生んでも、
チョンコロの数さへ減れば、ニッポン安泰!なのかどうか。

トーキョーが核で焼かれて、何万人と被爆者を出し、あまつさへ
天皇陛下を失ったとしたら、あなた撃った連中を許せますか?

そうさせない為の核武装というけれど、
それは相手国にも使える理屈なんですよ。

[2010年8月6日 23時30分]

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