記事タイトル:まんが藤村甲子園 


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お名前: ななかん   
…。
今年も土佐の高知で全国の高校漫研が集ってまんが甲子園が開催されます。
現役の頃にこんな催しがあれば勇んで参加したものを…。
北摂の高校漫研が合同で展覧会みたいなことをしたことがあったのだけど、
あれもうまく拡げられなかったな。

まんが甲子園。今年のお題は「20年後」「○○の神様」だそうで。
ここ出身の漫画家とか話には聞かないから、エンターティメント的な
ものははなから排除されてるのか、歴代受賞作をみても、いかにも
大人が「高校生斯くあれかし」みたいなフィルタで選んでるのが痛い。
そういう意味で今年はひと際注目なのが、東北方面の高校の参加である。

人間、一生に一作は傑作が描ける、と云われたのは手塚さんだったか
石森さんだったか、現実の体験のインパクトは並の想像力を凌駕する。
目の前で街が崩壊し、親兄弟を失った子供達が描く漫画は、表現の巧拙は
あっても読む者を引き込むだろう。
他府県の漫研は相当不利な戦いを強いられる事になると思う。

でもだからこそあきらめないで欲しい。

現実に勝るものはないなどとこれ見よがしに吹聴するリア充どもに、 創作の力を見せつけて欲しい。
ありのままの現実など、どこにも存在しない。
必ず主観による誇張がある。
それまでの人生経験からくるトリガーは人によって違うのだ。
漫画には、創作にはそれを形にして取り出す力がある。
当の被災者ですら気付かなかった認識を見つけて欲しいのだ。

震災当時、絵描きさんの多くは「描いとる場合かーッ!」とナイーブな
落ち込みを吐露されておられた。
感情移入の強い人程、被災者の身に自分を置き換えてしまい、絶望し
悲嘆してしまう。
でも現実にはあなたは何を失った訳でもなく、ただ机の前でボーっと
してるだけなのだ。
見なかった事にして普段通りにするのもいい。
その絶望を描いて吐き出すのもいい。

思考が身体を抜きして語れない様に、創作もその現実背景を抜きしては語れない。

あとはそれをどう切り出すか、なのである。

[2011年 7月9日 23時36分]

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