記事タイトル:Macintoshはジョブズが作った訳ではない 


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お名前: ななかん   
希代の企業家、スティーブ・ジョブズが亡くなりました。
享年56歳。死因はおそらく膵臓がん。
一昨日からAppleのトップは氏が壮健だった頃の写真を掲げ、
1955〜2011と終わった事を示しています。
まぁ褒める方はみなさんやってくださってるので私的なジョブズ観を。
ウォズニアックとジョブズの二人のスティーブは、個人が家庭で使う
コンピューターとしてアップル2をこさえ、マイク・マークラらと共に
アップルコンピューターと云う会社を起こしました。
これは個人用端末として大ヒットし、多くのマイナーチェンジを経て
次世代機アップル3を用意しますが、これは大コケ。
巨大企業IBMがPCに参入し、アップルはアップル2に変わる主力を
リサという端末に投入します。
パロアルト研究所のアラン・ケイからダイナブックと云う
新たなインターフェースのアイディアを聞いたジョブズは、
リサでこれを実現しようと横車を押して社内の反発を招き、
開発から遠ざけられます。
同じ頃、パーソナルコンピューターという新たな発想に
刺激されたジェフ・ラスキンはビル・アトキソンらと
アップル2をより使いやすく、シンプルな端末にした
マッキントッシュの開発を続けていました。
この名も初代アップルにちなんでリンゴの名前から付けたものです。
ですが社内の本命はリサであり、予算も二の次。
そこへジョブズがやってきて協力させて欲しいと願ったのです。
実際ジョブズの参加で人も金もどんどん集まるようになりました。
ラスキンは喜びましたがジョブズの狙いはマッキントッシュを
ダイナブック実現の依り代とする事でした。
やがて開発にも口を出すようになり、マッキントッシュという
名前すらバイシクルに変えようとするジョブズに、自分のプロジェクトが
乗っ取られた事を知ったラスキンが会社に直訴。
しかし創業者でもあるジョブズを扱いかねた会社はマッキントッシュを
ジョブズに委ねます。
本命のはずのリサ開発部からも強引に人や金を引き抜き、1984年、
初代マッキントッシュは完成し、文字通り産声をあげました。
これが大ヒットです。
にも拘らず、この間のジョブズの人も無げな態度が災いしたのか、
自ら創設したアップルを追われる事になります。

その後しばらくジョブズは落ち目でした。
NeXTという会社を起こし、教育機関向けのサーバーの販売に
注力しますが、ジョブズのこだわりはこの時は裏目裏目に出て、
さっぱり成果があがりません。
この時に亡くなっていれば、大口野郎が自滅したと笑われて終わったでしょう。
ピクサーを起こしてなんとなく実業の勘を取り戻したのか、
当時方針の失敗で債務を抱えていたアップルにNeXTのスキルでMacOSの
再編を提案。この時のCEOギルバート・アメリオは、悪い噂ばかり聞いてて、
会った事もないジョブズの営業センスに惚れ込み、彼に再編を託します。
ジョブズの陣頭指揮でこさえられた初代iMacとMacOS_Xはアップル久々の
ヒットとなり業績を持ち直しました。
しかしアメリオの古くさい営業センスに失望したジョブズは、この恩人を
会社から追い出してしまうのです。
傾いたアップルを建て直すために呼ばれたアメリオでした。
効率化、リストラ、アヴァンギャルドが社風のアップルには今までなかった、
普通の会社の採算性という概念を徹底させます。
当然古くからの社員には恨まれる。
アップルをただのパソコン販売会社にしてしまった、と。
ジョブズはそこを突いた様でした。
自分ならアップルをかつてのような先進的な会社に復権出来ると。
事実その通りになりましたが、アメリオが築いた採算性という果実は
そっくりそのまま利用しての躍進です。

スタンフォード大でのスピーチ。
自身、ガンで闘病中とあって、真摯に訴えるものがあります。
ですがわたしには、傲慢で自分勝手な自分を肯定するための理屈のように
聞こえます。
ジョブズの目にはラスキンやアメリオは頑迷で無能に見えたのでしょう。
事実そうだったかも知れません。
ジョブズは自分の眼鏡にかなう有能な人物には非常に寛大なのです。
NeXT時代の不遇はそれでも彼に他人に対する寛容さは与えなかった。
元々お金持ちで貧乏を知らずに育ったビル・ゲイツとの差。

まぁただの判官びいきです。

[2011年 10月8日 0時28分]

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