記事タイトル:「ブギーポップ・イントレランスーオルフェの方舟」を読了する。


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お名前: ななかん   
「ブギーポップ・イントレランスーオルフェの方舟」
「ブギーポップ・イントレランスーオルフェの方舟」
「ディシプリン」で瀕死の重傷どころか、お前死んでるだろ的状況に置かれた霧間 凪を
放ったらかしにして、久々に我らが不気味な泡が起動した。
時勢からするとちょうどディシプリンの最中の話らしいが、ここへ来てオルフェウスを
持ち出す意味とは…?
MPLSが自壊するとか、どこにでも顔を出すリセットの時間線はどうなっているのか、とか
結構さらっと新しい認識が生まれているようではあるが、体勢として終局に向かいつつ、
可能性実験室との融合を謀っている感じ?
実際「虚空牙」に対する唯一実効性のある兵器「ナイトウォッチ」が完成するのは
もっと後になりそうだから、アクシズの崩壊と虚空牙の来襲は時期的に重なりそうもない。

マンイーターやイマジネーターの頃には無意識の領域にあったであろう、物事の可能性、
キャビネッセンスに振り回されるMPLSの無常は云うなれば「敦盛」。
なにが悲しくてそんなあり得たかも知れない可能性のために、人生台無しにされねばならんのか。
せめてそんな「大局」に一矢報いた今回のワンホットミニッツの「やりとげた感」は 作者からのささやかな贈り物なのか。
池波正太郎さんの剣豪・無頼・股旅もの、に通じているような気がしないでもない。
そうなると気になるのがブギーポップの立ち位置である。

「決定的な何かはすでに終わっている」というのが若い世代では共通の認識らしい。
それ自体はたいした事ではない。平安時代にも室町時代にもささやかれた事だ。
19世紀末には重大な科学的発見は全て終わった、と云われていたのだ。
それで終わらしてくれるほど世界は甘くはなかった、ということだ。
いや楽しいねぇ。飢える心配もせずに、しょうもないことに、心くだける、いまという時代は。

アフリカの餓えた人々に申し訳が立たない。

[2006年4月12日 9時58分7秒]

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