記事タイトル:虹の翼が空を舞うとき 


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お名前: ななかん   
二宮忠八という人をご存知だらうか。
舞台は我々にはなじみ深い男山八幡宮のある京都府八幡市である。

オットー・リリエンタールに先駆けること3年、ライト兄弟の実飛行の
12年前に動力による飛行器械の実験を成功させていた、人らしい。
日清戦争のさなかに飛行機のアイデアを上申するも、上官に却下され
後に薬種業にて成功するも、個人的に続けていた有人飛行機械の研究が
アメリカのライト兄弟の成功によって、無用なものと判じて全てを投げ捨ててしまう。

戦前の教科書では偉人の列に並べられていたらしいが、わたしの記憶にはまったく
残っていない。なにゆえこのような人物の来歴が隠されてしまうのか。
それともわたしが憶えていないだけで、授業には出ていたのだろうか。
航空史に詳しいひとには、当然のように知られているらしいが。

八幡市の二宮邸には飛行神社なるものが建てられているらしい。
航空機の開発や事故で亡くなった方々を祀るために、氏が建立したものだと。
空への階梯がこんな身近のところにもあったとは。

ちくしょう、泣かせるぜ。

[2005年11月19日 18時36分34秒]

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