記事タイトル:エウレカのミニスカート。 


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お名前: ななかん
「かみちゅ」と「エウレカセブン」を観了。
エウレカセブンはなかをごっそり見落としているが、話にはついていけた。
スカブが増殖するソラリスの海というのはなかなか魅力的な設定だった。

だが。
さて、これはよかったのだろうか?
格好はよかった、かな。
君は満足したか?
どうだろ?
なぜふたつを並べる気になったか。
感想が似ているからだ。このふたつには明らかに瑕がある。陰摩羅鬼の瑕がだ。
でもそれが魅力、と云われたらわたしには意見できる口がない。
せいぜい「お前ら、それでいいんかい!」ぐらいしか云えない。
流れにおまかせなら、演出はいらない。
相克するモーメントがベクトルを生み出してこそのドラマツルギー。
絶体絶命の窮地が「実は書き割りでした」なんてオチはもうウンザリだ。
最初に問いかけがあったら、嘘でも答えてみんかい。

旧約聖書の冒頭はいくつかあるが、概ね最初に言葉があったとされている。
言葉を発することで、その「なにか」は「神」になった。
「光あれ。」と唱えたことで「闇」という概念が生まれた。
混沌とした「どこか」の「なにか」に、秩序を生み出したのだ。
ゆえに闇は秩序以前の混沌を暗示し、ひとはこれを出来れば避けたがる。
大抵の物語はこの大枠からはずれることが出来ない。この秩序を無視することは
世界を再構築するに等しいからだ。そして共通の理解がないところに共感を、
感情を移入することは、とてつもなく難しい。
云うなれば光を見失った人々が光を見て「あ、これは闇だ。」と驚いているようなものだ。
現状は。
コミュニケーションを喪失した人々が繋がることによって世界を再構築している。
そうとでも捉えなければ、この技巧的な美しさと物語の無様さが理解できない。
それともこれも新しい秩序なのだろうか。
だとしたら、わたしの知っているなにかは永遠に失われてしまった。
やはりわたしには語るべき口がない。

[2006年4月3日 9時45分51秒]

お名前: 万妖
実は地球でした。
実は父親でした。
実は全員が犯人でした。

これは、知らない人に一回だけ使えるオチですな。

同じお化け屋敷に何回も入って同じところで驚いて喜んでいる人はあまりいないですね(笑)

「エウレカ」は薄目でほぼ全部観てましたが、この1年間は何だったのでしょうか(苦笑)

[2006年4月13日 23時59分34秒]

お名前: ななかん
ナニと申しましても。
エウレカの空中ダイブシーンをコマ送りすべきかどうか、難しい貌をしながら
腕組みしているお奉行さまの姿が見えるようです。
「これだけ回り込んでンだからパンチー見えるンでないの、ん?パンチー。」
「イヤイヤ。人の子の親としてそれは…。」
「でもチョンの間なら…。」
「イヤ!いやいやいやイヤ。」
というような一年だったのでは。

[2006年4月15日 11時56分37秒]

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