記事タイトル:「チャーリーとチョコレート工場」を鑑賞する。 


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お名前: ななかん
「チャーリーとチョコレート工場」DVD
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面白かった。
特に前半の、工場へ招待されるまでのたたみかけが、往年のハリウッド謹製
プログラムピクチャーのようで、わくわくした。
しかもプロデューサーの名前が「ザナック」とは。
狙っているかのようだが、実はバートン監督とは「猿の惑星」からのおつきあい。
前々作の「ビック・フィッシュ」でも製作を引き受けておられる、リチャード・ザナックとは
他でもないダリル・F・ザナックの息子さんなそうな。

で、そのまま進んでくれれば平成のクリスマス・キャロルか、とも思えたのですが。
中に入って子供たちが始末されていくあたりで、私的には失速。
原作は児童文学らしいので、むしろ醍醐味は工場の中なのでしょうが、わたしの期待感が
満足することはありませんでした。
落伍するのはかまわない。そういう教訓めいたことをメルヘンに包んで伝えるのが
目的なのだろうから。でも、試練は全ての子供に等しく課せられ、その都度二者択一を
迫られるような状況でなければ、チャーリーの残る意味に重みがなくなる。

それこそ、母方の祖父と己の栄冠を秤にかけるような試練が。
もっともウィリー・ウォンカにそんな積極的な動機があったとも思えないのですが、
その辺の鬱憤はこれまた工場を出たあとに待ち構えていたのです。

クリスト・ファー・リーがここでも素晴らしい役どころ。
ウィリー・ウォンカ(じょに・でっぷ)の手袋がいい味の小道具になっておりました。

あと背景に対する認識の違い、ですね。
光の捉え方が欧米と日本で全然違う、とは常々思っていたことですが、ひさびさの
凡作「姑獲鳥の夏」に登場する目眩坂が、しょぼいオープンセットでがっかり
なのにくらべ、主人公チャーリーの住む無茶苦茶傾いた家も、しょぼさ加減では
負けず劣らずなのに、この映画ではちゃんと機能しているのです。
日本ではなんだか一分の一の模型を造るのがベストなんだよ!と、いまだに
考えているらしく(だったら原寸のゴジラを造れよ)それが画面でどう使われるか、
まで考察していない。で、すごい造形の大和が出来たよ〜と満足している。
そういった側面は「三丁目の夕日」にもあるのですが、
こちらではそれでもちゃんとそのセットが機能している。
だから要は捉え方なのだ、と。

しかしティム・バートンは本当に上手くなった。
わたしなどが褒めるのもおこがましいほどである。

この人は本物だ。

[2006年2月15日 11時20分12秒]

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