記事タイトル:「キングコング(ピーター・ジャクソン版)」を鑑賞する。 


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お名前: ななかん
素晴らしかった。
何よりここには映画に対する愛がある。
ストーリーの稚拙だの役者の大根振りをもって批判する
人がいましたが、あなたはRKO版の初代コングを知らないのか。
ひょっとするとラウレンティス版に対するリスペクトも含まれているかも
わからないが、作中の言葉にもあるようにこれはただ美しいのである。
人ならざるものに対する畏敬を知れ、というのである。

これは確かRKO版にもあったと思うのですが、アンをはりつけ台から
コングがかっさらっていく時、力任せに引きちぎってますが、
あれではアンの両腕がもげてしまうと思うのです。
なんとかなりませんか?
あと、髑髏島の原住民。
あれは白人のほうが笑えます。

[2006年5月29日 10時16分8秒]

お名前: 万妖   
至極同感です。

私は、マイカル茨木で観ましたが、3週目にして平日でしたがガラガラでした。
このように私の周りにはアレをよしとする人がほとんど居ないのです。

・・・素直に生きようと思います(笑)

[2006年5月31日 12時55分25秒]

お名前: ななかん   
そうでしたか。
私も劇場では見てないので、偉そうに非難できないんですが。

先日、聞いた話なんですけど近頃のオタク世代では、脳内補完
(ここはもっとこうだったら〜、いやそうであるべき!)みたいな
勘違い能力が乏しく、ただ与えられる刺激によがるか、唾棄するかの
二律しかなくなりつつある、みたいな観察があるそうで、只でさへ
コピーするしか能のないクリエイターの予備軍がさらに無能力化して
いるとか云う話ですよ。
まぁそれは専門学校とかの教育の現場がそう、とかいうことなので
そこまで無能な自称クリエイティブは数人しか知りませんから、そんな
に状況は変わっていないとは思いますけれど。

いえ、わたしがそうじゃんとか云われると返す言葉もありませんが、
ピーター・ジャクスンを「指輪物語」を造った偉い監督という
認識しかない、お上品な観客にはあまりの悪趣味さに辟易するのかも知れませんな。

脱臭した納豆なら食ってみようかみたいな、美食家気取りが
増えつつあると。
人参も大根も皮を剥かないと不潔だ、と。
そんな人が増えつつあるのかもしれませんな。

『白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき』
ですな。
[2006年5月31日 16時59分36秒]

お名前: 万妖   
考えてみると、「キングコング」を観よう!と思ったのは、予告編を観た時でした。

大監督であるはずのピーターが
「やあ、僕ピーター!指輪物語でもうけたお金でぼくの大好きなキングコングを映画化することができました!古臭いなんて言わずに是非、観に来てね!」
とかいう意味のプレゼンをしていました。

それを観て、「面白いやっちゃ・・・」と思って決心したのでしたよ(笑)

確かに最近感想がだれかさんみたく、「サイコー」か「サイテー」と(^^;二律化している傾向はすごく感じますね。

[2006年6月8日 12時32分50秒]

お名前: ななかん   
ありゃ。
結果として誹謗になってしまいましたか。どうもすいません。

わたしども(誰と誰で複数かよ!)映画バカにピーター・ジャクスンの名前が
知られましたのは「ブレインデッド」とかいうホラー映画で、気の狂った猿に噛まれた人間が
ゾンビ化して酒池肉林。脳みそまきちらして暴れ回る、というどうしようもないバカ映画でした。
確かその前作も「怒りのヒポポタマス」とかいう知能指数の低そうな映画で、ああオーストラリアから
馬鹿が来たな、という印象でした。
それが次の「乙女の祈り」という映画でにわかに脚光を浴びたらしく(見てない)、これも実際の
殺人事件に基づいた人殺し映画だったそうですが、登場人物の描き込みがただのバカ映画にしては
高尚な趣きで、これが「ロード・オブ・ザ・リング」のきっかけになったと聞いています。

だから、最初に監督がジャクソンと聞いた時は半信半疑だったのですが、やがてスチールが
公開されると「コイツは本気だ!」と思えたわけでした。
それにしてもよくトールキンの遺族はこいつに許可を出す気になりましたなぁ。

ふたつも上の人に「こいつ」はないよね。
脳内削除してください。
[2006年6月9日 18時15分46秒]

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