記事タイトル:自信と実力「フラクタル」と「放浪息子」を観て。 |
どんな気分なんだろう。
長い時間かけて準備し、話題性も十分。
満を持したつもりで公開した作品が、スタートダッシュで
あっさり完敗するというのは。
「放浪息子」のスタッフは来歴だけみるとそれほど華々しい
経験は積んでおられない。むしろ中堅といった風情である。
だからこそ積み上げて来たものが花開いたのだろうか。
素晴らしい第一話だった。
お話の引きもさることながら、これだけ短編で観ても優れている。
冒頭のモノローグと対になるヒロインのモノローグ。
しかもその後が夢精だと?
どんだけ描き込むねん!
対して「フラクタル」のスタッフはビッグマウス同士とあってか、
来歴は話題性に富んでいて、次の作品を期待させるには十分なのに…。
冒険活劇をやりたいのか?導入はコナンやナディアを思わせるけど、
王道な展開を引っ張るにはあまりに実力不足。誰でも知ってる展開を
面白可笑しく見せるのは実は大変な力量を要求される。それを証明して
しまったかの様だ。
あれはなんだろう?と思わせるのと、
あれはなんだったんだ?と思われるのでは
雲泥の差がある。
唐突と云う意味では「エヴァンゲリオン」の第一話も「機動戦士ガンダム」
の第一話も「宇宙戦艦ヤマト」の第一話も唐突な展開ではあるが、これらには
そんな疑問を吹き飛ばす高揚感がある。二話以降を観てくれないとこの話の
醍醐味は判らないんだ!というのはスタッフの空回りで、思い上がりだ。
素晴らしいシリーズの第一話にはシリーズを凝縮したようなエポックがないと
いかん。
その点「放浪息子」の第一話は及第点どころか目を見張る出来映えがあるけど、
「フラクタル」は及第にすら及んでいない。
二話目以降でこの差が埋められるものだろうか。
疑問である。
ただ、もしも「フラクタル」が「放浪息子」と同じ枠でなかったら、ここまで
批判めいた事は云われないだろう。やってることはオーソドックスで、
ラストでまさかのダブルヒロインッ?には驚かされた。
次回を観てみたい気にはさせてくれる。
でも実際には同じ枠内であり、出来ればTVの視聴時間は削ってしまいたいと思ってる、
わたしの様なグータラな視聴者に取って、この第一話の出来映えの差は大きい。
監督が山本さんでなければ、外していると思う。
山本寛さんの持ち味はトリッキーなネタを連発するところだろう。
その方面でならトップランナーで居られる、センスがあると思う。
「らき☆すた」での降板騒動によって、監督を引き継いだ武本康弘さんは
どちらかと云えば凡庸な演出をされるが、「涼宮ハルヒの消失」で映画監督に
デビューし、作品の評価も高い。
なんでオレより無能なあいつがそんなに評価されるんだ、と歯ぎしりされたり
してないだろうか。あれは原作の人気であって、監督の力量は関係ないじゃないか、と
でも大事なのは降板の際に京都アニメーションから公表された
「監督の域に無い」という無碍なる言い草である。
酷い事を云うと怒るのは最もである、が普通なら黙ってチョンなのだ。
本当に使い物にならない屑に世間というのは無視を決め込むだけ。
実際にはそれが一番むごたらしい。
京都アニメーションはこの罵りによって、監督ヤマカンに何が足らんかを
教えてくれたと云えるだろう。ここで初心に立ち返り、一から物語る事を考え直して
いたら、更なる成長を得られた所だと思うのだけど、どうも今の所呪いにしか
成っていない様に思える。
「かんなぎ」での最終回。それまでのトリッキーな演出はまったく使わず、
亡くなったお婆さんの話を淡々と演ったのは、まるでこういう演出だって
出来るんだぜ!と吹聴しているかのようだった。
いかんせん、まったく面白くない。
産土神と土地娘の時間を超えた関係が話のベクトルに結びついて来ない。
原作の良さをただなぞっているだけでは決して物語にはならないのだ。
そう云う点で「フラクタル」第一話は進歩しているが、やはり監督の域に
ついて逡巡しているように見受けられる。わたしが山本さんに期待するのは
ミヤさんの亜流ではない。もっと得意技を使ってはっちゃけて欲しい。
その上で人物描写なり背景描写なりにドラマツルギーが描き込めれば最強じゃないか。
順序が逆なのだ
運動の世界では1位と2位の差は絶対である。
天才が楽して勝とうが、
努力家が血の涙を呑もうが1位は1位。
では劇作の世界でこれに相当するのは売れたかどうかになるのか。
売れてる作品はなんかしら優れているとは云えるだろう。
多くの人を惹き付ける何かがあるのだ。では売れない作品はみんなごみなのか。
そう言い切れるのもある意味偉い。
これほど明確な基準もないだろう。
世界に冠たる宮崎駿さんは若い頃、先輩を足蹴にする嫌な奴だった。
お前らより俺の方が断然上手いと公言して憚らない。
実際上手かったし、何より量がすごい。
足蹴にされた先輩方も、なんだあの野郎とは思ったがその才能は認めざるを得ない。
惚れてしまう。
よし、口のでかい若手だけでいっちょやってみろ!と高畑勲さんと組んだ
「太陽の王子ホルスの大冒険」は東映動画史上最低の興行収入だった。
それ見た事か!
叩かれる。
あの馬鹿どもに映画を撮らせるなと云われる。
でも堪えない。
絶対これは面白いと云い張る。
面白いんだ、面白いんだ、と言い続けて、ようやく世間が認めてくれたのが
「風の谷のナウシカ」ホルスから数えて実に十数年後のことだった。
その間の諸作品はごみである。
なるほど。
それほど己の価値観にこだわり続けた宮崎さんが
今は自信喪失状態らしい。
なにが面白いと「思われる」のか判らなくなったそうだ。
あれほどの実力者が…。
とかく自信とは根拠の無いものだ。
[2011年1月22日 13時35分]