以前覚え書き その三で考察した神足(こうたり)の補足だ。長岡京市内に同名の神社があるというので行って見た。場所的にはここだ。

結論から言うと参考にはならなかった。神足という地名は桓武帝が付けたらしい。それ以前は田村か神谷と呼ばれていたようだ。

府道211号線東神足交差点、近くには勝竜寺城公園とJR長岡京駅がある。

府道からの入り口。いくたりかの駐車スペースが設けてある。

勝竜寺城土塁跡の掲示。境内に隣接している。

以前は竹藪に埋もれていたらしいが、空堀遺構として復元。

土塁の上部に虎口の説明。

横矢掛かりから見た虎口。

空堀にかかる土橋が堅牢に造られていたことの説明。

土橋の現状。

更に古い時代の堀を流用したことが伺えるらしい。

境内前の駐車場。手前の瓦屋根は社務所。

本殿の手前に立派な拝殿が設けられてる。

言い伝えによると桓武天皇の夢枕に神が立ったので、祀るために創建された、とある。

本殿向かって右に末社がある。

扁額には野神天神とある。由緒には末社御祭神としてオオドシノカミ、シカヤノヒメノミコトとあるので、そこから由来するものと思われる。

本殿向かって左にも末社があるが、しめ縄が張られているにも関わらずなんだかゴミ置場のような扱い。

本殿を側面から見る。銅葺きの立派なお社だ。もともとはもっと西にあったらしいが、東海道本線の建設に伴い、この地に移動したらしい。境内が土塁を塞いだ形で建っているのはその為と思われる。

本殿と拝殿を繋ぐ回廊が見受けられる。

拝殿正面。正月の飾り付けも賑々しい。

拝殿からクランクして参拝道があった。こっちが正面だったのだな。

今は二の鳥居だが古いものだ。

元禄十七年と読める。元禄年間最後の年だ。

現一の鳥居は御影石の立派な鳥居だ。平成八年、御鎮座千二百年記念と読める。

一の鳥居正面。神足神社、延喜式内と誇らしげ。

一の鳥居正面。

御祭神にアマノカミタチノミコト、トネリシンノウとある。先の夢枕にこの神が顕れたのだろうか。一説にはこの時、神の足しか見えなかったので神足とされたとか。

石灯籠には安永五十と読めるが安永年間は十年しかないので五年のことと思われる。

一の鳥居建立奉献者名簿とあるな。およそ二十数年前。

社務所。

横は神足公園になっている。ここももともとは薮だったようで、昔の神足神社は鬱蒼とした林の中に建っていたそうだ。

公園の向こうは小学校になっているが、

ここを造るにあたって地質調査をしたところ、住居跡がみつかり神足遺跡と名付けられたが、埋め戻された。

旧石器時代からこの辺りには生活のあったことが伺える。

今も昔も交通の要衝だったようだ。
命名が桓武帝というのは否定的な要素かもしらん…。単なる偶然とも考えられる。
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